雑記Rogue

書くたび言うことが変わる不思議ダンジョン

ニュースのその記述は誰の見解なんだ 問題

こう言う記事が上がっていた。

www.asahi.com

開発でなかなか苦労されているみずほのシステム。決算発表会見の場で、コメントされたらしい。

 

さて、この記事の見出しでは「新システムは、この夏の稼働を目指している」と読める。しかしそのつもりで記事を読んでみると、次のように書いてある。

・佐藤康博社長は「もう少しで開発が完了する」との見通しを示した。

・本格運用の開始時期は「移行の完了時期は特定できていない」と述べるにとどめた。

少なくとも会社側からの発言には稼働時期は明言されていないようだが、間に次のような一文がある。

今夏ごろとみられる。 

 質疑応答の中でこう判断したのは記者なのかもしれない。そして、この文脈からだと「開発が完了するのが夏頃ではないか」と予想しており、記事内では「開発完了」と「本格運用」を区別している。

それにもかかわらず、見出しでは「稼働が夏」という解釈に変わっている。

 

 

一方他の記事ではこのように書かれていた。

this.kiji.is

こちらは発言元が不明だが、次のように書いている。

開発中の次期システムが今夏に完成する見通しとなった

運用開始は来年度以降になるとみられる。

  

最初の記事では「稼働が夏」と伝え、後の記事では「完成が夏で、運用開始は来年度以降」としている。

システム開発のように一般の読者にはわかりにくいものだからこそ、言葉の定義を正確に把握し、それを踏まえて噛み砕いて記述する必要があると思う。

 

「ポスト真実」時代のネットニュースの読み方

「ポスト真実」時代のネットニュースの読み方

 

 

「在宅勤務者をカメラで監視 」の記事、記者は何を理解して書いているのか?問題

多くの人が何か一言言いたくなる、パソコンの前に担当者がいるかカメラで確認できる新システムのこの記事。

www.nikkei.com

一読すると「導入する企業は、本来目指すべき目的を見失ってるんでは!?」という印象を受けるシステムだが、よく読んでみると実は記事自体がそもそもとっちらかっているように感じる。

 

記者は、該当システムのことをこの言葉で表している。

「社員がパソコンの前にいることをカメラで確認し、勤務時間に反映するシステム」

そしてこのシステムの目玉であるカメラからの映像に関しては、「在席・離席を区別するためだけに使い、システムの管理画面には登録した顔の画像しか表示しない」らしい。

 

さて、この仕組みを開発したキヤノンITSに寄せられた顧客の声は、次のようなものだったと書かれている。

1:きちんと仕事をしているか確認ができない

2:シェアオフィスを利用している場合に、他社の人にパソコンをのぞかれていないかが気になる

 

在席・離席の区別しかしない映像で、2はどのように解決しているのだろうか?後ろから未登録の顔が覗き込まれていることを検知するのだろうか?それに対する疑問は記事には記述されていない。

 

また、1の「きちんと仕事をしていない」の内容については、次の2つの例が挙げられている。

A : 表計算ソフトの使い方が分からずに家族に聞きながら一緒にやっていた

B : 子育てなどで頻繁に離席して決まった勤務時間に仕事をしていない

 

これも、このシステムではAは未解決のままで、Bしか解決していないように思われる。

 

実際に先行導入したイグアスという会社の社長は、次のように語っている。

・「働きぶりを直接見られず、目標を適切に設定できているかも分からなかった」

・仕事を評価してもらえる意識が生まれて否定的な印象は減っているという。

”パソコンの前にいることをカメラで確認し、勤務時間に反映するシステム”を導入してたことで、テレワーカーに”仕事を評価してもらえるという意識が生まれている”と語っているのだ。テレワーカー達はどのように動き、何を評価されていると感じているのだろう。

 

この取材を終えた記者のまとめは以下だ。

結果評価なら離席してもかまわないが、時間給を採る企業は在席してもらわないと困る。結果で評価する人事制度がないと自由な在宅勤務制度は運用しにくいことを裏付けている。

1行目は時給制で雇用している限り必要なことだ。2行目に関して「自由な在宅勤務制度」という単語が出てきているが、「結果で評価」や「自由な」とはどういう意味なのだろうか?今回の記事ではテレワーカーへの取材はなく、あくまで開発及び導入側の話だけを記載しており、それに関する記者と読み手の共通認識を確立できてはいない。「裏付けている」と締めくくっているが、そもそも「結果で評価する人事制度がない」かどうかを記事内で一言も触れていない。

 

このように、システムに関する疑問は回収しないまま、記者自身の印象を唐突に記述しているように読めるのだが、どう感じただろうか?

 

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「避難準備情報」の名称変更が、何を伝えたくて変更したのかわからない問題

朝なんとなくラジオを聴いていると、「避難準備情報」の名称変更について報じていた。

森本毅郎・スタンバイ!

radikoのタイムフリーは1週間しか残らないので、2016/1/23前後でリンク切れになるので注意を。

 

なぜ名称が変更されることになったかというと、昨年の台風による水害がきっかけだったようだ。「避難準備情報」が高齢者等が避難を開始する段階だと認識されなかったために避難が遅れて、人が亡くなる事態が発生してしまった。そこで、名称を変更することになったらしい。

この放送の中では専門家に意見を求めていて、その方は「名称変更をしてわかりやすくしようという試みは認めるが、まだわかりにくい」と指摘していた。

 

 

内閣府のページを確認

この件に関して内閣府が防災情報のページで掲載していたので、内容を見てみた。

「避難準備情報」の名称変更について(平成28年12月26日公表)

自然災害が発生する危険が出てきたとき、これまで次の3種類の避難情報があった。

・避難指示

・避難勧告

・避難準備情報

これらが何を意図したものかわからないので、次のように変更したらしい。

・避難指示(緊急)

・避難勧告

・避難準備・高齢者等避難開始

「説明が足りていなかったから理解されなかった」という理解なのか、単純に文字を追加している。

 

しかし、内閣府が伝えていないのは、彼らの想定する意図そのものだ。

 

まずこれは何をするために発する情報なのかというと、人的被害を最小に食い止めるためだろう。ではなぜ3種類である必要があるのか?その意図が明らかにしようとしていない。

この3つの内容を見てみると、次のようになっていた。テキストは先ほどのサイト掲載の図から取得している。(災害の進行状態に合わせ、順序を逆にした。)

 

1:避難準備・高齢者等避難開始

 いつでも避難ができるよう準備をしましょう。身の危険を感じる人は、避難を開始しましょう。避難に時間を要する人(ご高齢の方、障害のある方、乳幼児をお連れの方等)は避難を開始しましょう。

 

2:避難勧告

 避難場所へ避難をしましょう。地下空間にいる人は、速やかに安全な場所に避難をしましょう。

 

3:避難指示(緊急)

 まだ避難していない場合は、直ちにその場から避難をしましょう。外出することでかえって命に危険が及ぶような状況では、自宅内のより安全な場所に避難をしましょう。

 

このページの説明によれば、3の状態は「人的被害の危険性が非常に高まった場合」とされている。避難というには手遅れで、なんとか生き延びて!とでもいう状態だ。内閣府は、2の段階で多くの人が避難していることを想定していると言える。

 

 

適切な言葉が選ばれているのか?

辞書には、勧告=「当事者に、こういう処置をしたほうが良いと(多少とも)公的なしかたで告げ(説い)て勧めること。」とある。指示は「こうせよと指図(さしず)すること。」らしい。

内閣府は「人に指示しなくてはならないのは、最終段階だ」と考えているようだ。確かに、政治などの視点からは適切な態度かもしれない。しかし人の命を救うために伝える文言選びとしてこれは適切なのだろうか?

 

そもそも、この情報が何段階あるのかがこの言葉ではわからない。「勧告」という言葉だけを聞いて、3段階のうちの2段階目にあるとわかるだろうか?

 

言葉の主体が一定しないことも、行動との結びつきをわかりにくくしている。避難や準備というのは、逃げる人が主語だ。それが勧告や指示は発令する市町村が主語になっている。人に逃げてほしいのであれば、その人がどのような行動をするのかで統一すべきではないだろうか。(変更前は「〜情報」となっていて、もはや何がしたいのかわからなかったが。)

 

さらに、最終段階であるはずの言葉「避難指示(緊急)」だが、このカッコがついたことにより、カッコなしがあるのではないか?という連想も生んでしまう。「避難指示(応急)」や「避難指示(火急)」などがあると思ってしまう人がいないとも限らない。

 

 

状況に適した言葉選びが必要

避難しなければ命に関わる状況というのは、それこそ緊急だ。そんな異常事態の時に、どういう意味?などと考えさせるのは無駄な行為だ。東日本大震災を教訓にして、地震の速報では津波の恐れがある場合「すぐ逃げて!」という解釈の幅がない言葉に変更されている。

すでに避難準備などの言葉が浸透してきているからなどの理由で言葉を足したようだが、言葉ではなく意図が浸透しているのかを再確認してほしいものだ。

 

 

伝え方が9割

伝え方が9割

 

 

VRで何を夢見るのか?問題

シャープのOBの方が設立したベンチャー「team S(チームエス)」が、「VR書店」なるものを構想中であるとの記事があった。

www.sankeibiz.jp

この記事しか情報がないため記者の理解以上には知ることができないが、企画の内容は次のようなものらしい。

■実装内容

・地方の商店街の空き店舗などのスペースに「VR書店」を開設

・実際には本は置かず、インターネットを通じて購入

・ウエアラブル端末を頭部に装着

・本棚が並ぶ書店を模したVR空間を表示

・コントローラーあるいは手を空中で動かす仕草を認識して本を閲覧

 

そして、背景などに関しては次のように語られていた。

■企画の背景

「電子書店は本の検索購入には便利だが、町の書店で体験できる本とのわくわくする出合い、店員とのコミュニケーションを求めるのは難しい」と考えている

 

■将来像

「人が集まり、交流をしながら読書が楽しめるスペースにしたい」

 

【本とのワクワクする出会い】に関して、VRをその演出に使うのはアリなのかもしれない。しかし【店員とのコミュニケーション】や【交流】はどうだろうか?

ウエアラブル端末を頭部に装着することで、各々は隣り合わせにいながら別々の空間にいることができる。それが現実では得られないメリットだ。VRを通して他人と交流するならば、自室にいながらでも可能ではないだろうか。町の店舗に人が集まっているメリットを、この企画内容で活かしているようには感じられない。

 

何よりこれがわくわくやコミュニケーションを生む仕掛けだったとしても、それがどうその店舗での書籍販売につながり、利益を上げて継続していくことができるのだろう?

 

なぜVRで書店を再現しようと考えたのか?この記事ではそれを記述していないため、明確ではない。何か意図があるのではないかと思い高嶋晃社長の名前で検索してみると、昨年夏ごろの記事がヒットした。

vrinside.jp

team S = 高嶋晃さんではないのであくまで参考だが、電子書籍の抱える課題は3つあると考えられていた。

1:2次元だと商品の本当の価値を伝えられない

2:フォーマットの覇者がまだいない

3:購買行動自体に魅力が薄い

VRを活用することで、商品価値の向上と購買行動自体に楽しみを与えることができると考えられているようだ。

 

VRでわくわくしたら購買するのか?上がるのは商品価値ではなく体験価値なのではないのか?

ひょっとすると、VRを体験して感じたわくわくだけ駆動力になっているのかもしれない。それ自体は何も悪くない。実際VRは体験すると楽しい。しかし、わくわくと利益との間にはギャップがあり、それが埋められていないように感じる。

 

 

改めて最初の記事を見ると、直近の方針として次のようなことが書かれていた。

■当面の行動
地方自治体と連携
・商店街の空き店舗を活用し図書館を再現した原型モデル「VR図書館」の実証実験を実施
・課題を探り、運営方法などを詰める

 

地方自治体ということは、助成金をベースにまずは試してみようということだろう。利益につなげる方策は、やはりまだ見つかってはいないのだろうか。

 

 

VRは手法だ。「VRで何をやるか?」ではなく「それを実現するのにVRでなければならなかった」でないと、立ち上げ時点のVRの陳腐化とともに心中することになる。

 

実現したいことを考えるには、まずは今ある技術を忘れてただ妄想したほうがいい。将来像も、今の技術ではできないが技術が進むにつれて実現したいことを考えるべきだ。

 

〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則

〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則

 

 

省略された主体は伝わらないかもしれない問題

anond.hatelabo.jp

こちらの記事を読んで、改めて元になったものを見直してみた。(上記の記事では明記されてないが、おそらくこの方のツイートだと思っている。)

togetter.com

 

この方はツイートの中で「ことばが通じない人」としていくつかの例を挙げられている。それぞれに対してなるほどと思う。

ただ、ツイートの文字数の都合かあるいは、一連のツイートが通して読まれることを期待してかは不明だが、拡散されて受け取った側との齟齬が発生することになった理由があるように思った。

それは、「主体が省略されている」ということだ。

 

具体的にはこの「ことばが通じない人(1)語句を理解しない」という部分。これは主体は何だろうか?

直前のツイートでは、次のように語られている。

「あなたの頭の中で考えたことを〜」とあるので、おそらく「あなた」が想定されているのだろう。

それを踏まえると先ほどの部分は、次のようになる。

「あなたにとって」ことばが通じない人

「あなたにとっての」語句を理解しない

 

ところが拡散された内容を見た人は、もちろん同じ主体を想定した人もいるが、「普通の人にとって」といった言葉を当てはめているようにも感じた。

そう受け取った理由の一つには「ことばが通じない」という、ちょっと尖ったようにも受け取られることばが選ばれていることだと思う。日頃コミュニケーションにおいて不満を持っている人を惹きつけるには、十分な言葉選びだ。

 

元のツイートでは3種類あると挙げられているが、いずれも「あなたと相手との間で共通する定義がない」ということだ。

 

例えば去年話題になったドラマのタイトル「逃げるのは恥だが役に立つ」だが、逃げたら即撃ち殺されるような社会だとしたら、役に立つどころか丸損である。そうではない社会に暮らすもの同士だからこそ、このような言葉がことわざとして通用する。

そうは言っても同じ国に暮らして同じ言語を交わしているのだから、だいたい通じるだろうと思うかもしれない。しかしどこかの会社の業務支援システム構築とかで打ち合わせに参加してみると、次々とその会社・職務でしか通じない業務用語を繰り出されてくるのだ。

会話がお互いに意味や意図を通わせ合う目的なのであるとすれば、どちらかだけではなく双方が定義を確認する姿勢が必要だろう。

 

最初にリンクした匿名の方は、まさにそのことを言われていた。

もっと言えば、「自分の意図したように自分の発言が伝わらなかったこと」を、「この人ことば通じないな」にすり替えて片づけてしまうことに、それをいかにも「ことば」に詳しいですみたいな方が「こういう人はことばが通じないから仕方がないのです、こういう人には近づかないようにしましょう」と推奨してしまうことに、恐れを感じています。 

 元ツイートの方は、その後同様の趣旨のようなことを言われているようにも読めなくもないのだが、いずれも「あなたが使っている言外の意味」「あなたのその言葉に対する理解」のように主体を補わないと、それこそことばが通じないのではないかと思った。

 

三省堂国語辞典 第七版

三省堂国語辞典 第七版

 

 

「仕事ならそれでいいけど、普段からそれはちょっと・・・」問題

先日、体に違和感を感じて病院へ行った。

いろいろ診てもらったが大したことはなかったらしく、お医者さんに「症状も軽いので、今のところ特に治療の必要はありません。しばらく様子を見てまた何かあったら来てください。」と言われた。

僕はこの症状に対する知識がないので、どんなことを観察すれば良いのかわからない。そこで、「しばらくと言うのはどれくらいでしょうか?ひどくなったら、例えばどんな症状が現れたりするんでしょうか?」と尋ねた。

すると、「じゃあ薬を出しましょうか?」とイラっとしながら言われた。

あーあー、薬が欲しいんじゃないんです。どう言うところに注目して経過を見れば良いのか教えて欲しいだけなんですと自分の質問の意図を伝えると、ようやく説明をしてくれた。

 

別の日の話。

知人から、ある政治家に関するニュースについて「こう言うのは許せん!」とか「政治家ってこんなことする奴が多すぎる!」と、怒りの話をされた。

僕もそれに共感したくて話を聞いてみると、ニュースの内容を誤解していたり、そこには書かれていないことを勝手に想像していたり、内容ではなくある単語に対して怒っているようにみえた。

そこで、僕が知った情報を伝えてその人が誤解しているところを解いたり、XXが○○であることに怒ってるのか?などとその人がどう理解しているのかを聞こうとすると、「いや、いいよいいよ。」と話が終わって、次の話題に移っていった。

 

 

僕は相手の意図をできる限り汲み取りたいと思い、自分が理解できなかったことは聞き返してしまう。僕のこの態度に対して、周囲の人からはよく「いちいち内容を確認されるのは面倒臭いな。」「雰囲気を共有したいんだよ。」と言われる。

 

もちろん仕事だったら大事な態度だ、仕事で意図が違っていたら大変だ。最後に違うものができた日には、取り返しがつかない。だから雰囲気で分かった気にならず、意図や内容を確認をするのが正解だよ。

でもね と。

普段の会話からそれをやられると、それはちょっと面倒臭い。流して欲しいこともある。会話ってそんなに厳密じゃないでしょ?雰囲気が伝わればそれでいいと思うよ。

 

「仕事ならそれでいいけど、普段からはちょっと・・・」

 

 

誤った情報が世の中に広まることがある。それを信じ込んでピザ屋に銃を持って押しかける人は少数だとしても、気軽にデマが口にされることはある。

笑えるデマならまだ害はない。でも、それによって不利益を被ったりする人がいるとすると、それはとても困った事態だ。

 

 

ふと考えた。

さっきの話を踏まえると、世の中の情報は、仕事じゃなければ特に内容は確認されないし、それを介して「嫌だよねー」「変だよねー」と雰囲気を共有し合う方が優先度が高いことになる。雰囲気を話したいだけなのに、なんでいちいち内容を確認しないといけないの?ってことだ。

しかしその結果、情報は雰囲気が伝わりやすい方向にどんどんと形を変え、デマの程度(?)もどんどん増していくのではないだろうか。

 

 

「どんなにやったって100%伝わることはないんだから、理解し合うなんて無駄」という極端は話に向かいがち。それに、僕の普段の態度自体が極端かもしれない。

でも、もうちょっとだけ世の中が普段から雰囲気ではなく、内容や意図に目を向けてもいいんじゃないかと思ったりしている。

 

そのためには、< 意図を伝え合うための労力がかからない方法 >が発明されるしかないんじゃないかとも、思ったり。

 

今日からはじめる情報設計 -センスメイキングするための7ステップ

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あるキャリアコンサルタントさんが自分の職務を全うしている?問題

話題のこの記事を読んでみた。

diamond.jp

 

一読した直後は "何を言ってるんだ!?" と思ったが、この方の主張がなんだったのか気になって、もうちょっと読んでみた。

 

まずは冒頭の「アルバイト感覚」について書かれたこの部分。

決められた時間の中で、業務をこなす。こういったアルバイト感覚、学生感覚が抜けきっていないうちは、組織に所属しているという意識が根付くまでに時間がかかります。新入社員が「定時だから帰る」という行動は、まさにその意識の延長線上にあります。

時間が基準になっている。時間内で仕事をするのがアルバイト感覚で、時間を超えるとアルバイト感覚ではないという線引きである。

 

続く段落では、アルバイト感覚ではないときの働き方が出てくる。

 アルバイトの延長線上で働いている、と先述しましたが、もちろんアルバイトでも規定のシフト時間を過ぎてからも必要に応じて主体的に関わろうとする人もいます。

この段落では所属意識について書こうとしているが、 「シフト時間を過ぎて」のように、やはり時間外かどうかという点に触れている。

 

この時間に関するこだわりは、記事の後半にも登場する。

 居心地が良い場所には長時間いることが可能です。しかしそれが惰性で「ただ、いる」というのでは誰も得をしません。個人的に付き合いのある某企業の責任者は、「自分が帰らないと周りが帰りにくいから」と、効率的に仕事を終わらせる工夫をしていると語ってくれました。

仕事に対する効率化は、周りが帰りやすくするための行為として出てくる。

 

一方、定時以降まで残る社員については、次のように描かれている。

 逆に多くの時間を残業に費やしている中堅以上の社員は、所属意識だけでなく「居場所」を会社に求めている場合があります。ただ単に家に帰りたくない場合や、家庭の中で居場所がない場合。少し早く仕事が終わっても、まっすぐに帰らずに周りを食事や飲み会に誘う上司。これらは定時に帰るトンデモ新入社員とは、正反対だと言えます。

 つまり会社がホームとなっており、家や家庭がアウェイという状況なのです。実際に10年程前に私自身が会社勤めをしていた際、タイムカードは退社時間でしっかりと打刻していたものの、毎日のように深夜まで雑談をしていたり、部署の誰かを飲みに誘う上司もいました。

定時後に仕事をしているかどうかではなく、会社にいるかどうかが「定時に帰るトンデモ新入社員とは、正反対」であるとしている。 

 

 

では、仕事そのものについてはどう考えているのか?それを探るのは次の段落だ。

また、新入社員に残業が必ず必要なのかは状況によって異なります。しかし、新入社員は経験のある社員に比べると、仕事のスキルが乏しいのは仕方ありません。状況によってはスキルを時間で補うことも必要です。例えば納期のある業務を任されたり、締め切りのある依頼をされた場合には定時だからと投げ出さずに、上司や先輩社員に“報連相”するなどの必要があります。 

ここで挙げられている例から意味を取ると、「仕事のスキルが乏しい状態」とは「締め切りがある依頼を、定時だからという理由で投げ出す」ことであり、「時間で補う」とは「上司や先輩社員に“報連相”などする」ことである。

文章の意味はわからないが、定時という単語にはマイナスのイメージ、時間という単語にはプラスのイメージを持っているようである。

 

 

ここまで読んでいっても、残業することが会社や社員の利益につながっていない。むしろ仕事のことに触れようとすると、途端に内容が怪しくなっている。そしてひたすら "残業しない新入社員はトンデモ社員" と言い続ける。

 

 

記事の大半はこんな調子で、誰のための話なのかはっきりしない。

しかしよく見ると、途中にこう言う記述がある。

 上司世代と若者世代の所属意識の違いは、「どこに」居場所を求めているかの違いでもあります。これは単純に自宅や実家という場所ではなく、どの居場所に所属意識を置いているかということです。

(中略)

 しかしそれでは、いつまでも会社への所属意識は芽生えません。それによって人間関係が深まらず最悪の場合、居心地の悪さで仕事を辞めるリスクにつながります。

さらに、記事の最後ではこう書かれている。

 なぜならトンデモ新入社員をすぐに見切ってしまったのでは、会社の離職率は上昇していく一方であり、離職率の高い会社や未公開の会社は特別人気企業でもない限り応募もされない状態に陥ります。  

つまりこういう思考展開だ。

1:定時ですぐ帰るのは居心地が悪いからだ。

2:居心地が悪い社員は、やがてやめてしまう。

3:離職率が高くなると、応募もされない状態になる。

どうしてこう言う話をしているのか?なぜならこの方は「中小企業向け集客採用コンサルタント」だったのだ。

www.sakuraichirin.tokyo

 

 

なるほど。

しかし、その解決策として「定時で帰らせないようにする」というのがコンサルティングなのだとすると・・・。

 

ほとんどの社員が17時に帰る10年連続右肩上がりの会社

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