「ネットでは〜」の漠然さを考えてみる
サイトの記事でもテレビや新聞などでも、「ネットで話題」とか「ネットではこう言われてる」みたいな表現・引用を目にすることは多い。
例えばこの記事とか。
この記事では『「クルマに夢」発言に反発の声』として、引用の記号を用いて3件のテキストを記載してる。
もとになった記事はYahoo!ニュースに載ったようなので、ここでの「ネット」とは、Yahoo!ニュースの記事に下部にあるコメント欄やfacebook、twitterを指しているのかもしれない。
コメント欄を見てみると、確かに価格・お金に関する書き込みは多いようだ。
あるいはこの記事。
ネットで大論争 フジロックに「SEALDs」奥田さん出演 「音楽に政治、持ち込むな」???
この場合は記事中に『すぐさまツイッターで〜などの悲観が数多く投稿された』とあるので、ここでのネットはtwitterを指しているらしい。
例えば、食べ物屋さんなどで見る「テレビで取り上げられました!」という言い方がある。現状では、テレビ局の数が限られているので、なんとなく出どころは限定されている。
また「街でこういう声を聞きました」などというのもあるが、「それって東京の話でしょ?」などと多少の僻みを持ちつつも、どこか頭の中にその人数の大きさがイメージできるような気がする。
一方「ネットでは〜」には、人数のボリューム感がなんだかはっきりしない。どこかの偏った集団のようにも、なんだか大きなもののようにも感じる。
実際のところtwitterなどのSNSでは、フォローしている人によってTLに流れてくる内容や傾向はバラバラだろうし、サイトの記事およびその書き込みなども、そこをよくチェックしている人の傾向がある。だから、自分が知らない・関わっていない集団がどれくらいあるのか、どれくらいの勢いをもって広がっているのか、全く見当がつかない。
数多く目にしているからといって、その集団が大きいとも限らない。「芸能人Xに対してこういうことがネットで書かれている」などという場合も、元は2ちゃんのどこかのスレのある一人の書き込みで、それが2ちゃんまとめになり、まとめのまとめになり、引用されてることもある。たった一人の意見あるいはネタが、もはや「ネットで話題」だ。
twitterでも、たくさんのことがRTされる。それも、多くは中身を理解せずにRTだ。この時のボリューム感とは、一体どれくらいを想定すればいいんだろう?
一昔前であれば、インターネットで大規模に人が意見を出してるのが集まってるところといえば、それこそ2ちゃんねるなどの掲示板だったのだろう。なので、ネットといえば暗に2ちゃんねるを指していた時期もあったように思う。
しかしモノもネットにつながる今、これほど大きな主語もなかなかない。
そろそろ「ネットでは」という書き方を止めて、出どころを明記すべき頃合いなんではないだろうか。
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