ソースが消える問題
なんだかんだ言っても、まだまだ信用されているソースである新聞。
最近はWeb上でも記事が読めるため、SNSを通じてそれに関して何かコメントしたとしても、リンクをたどって元記事が参照できるので、「いやいや、さすがにそれは違うんじゃない?」みたいな確認もできる。
しかし、これはいつもできるわけじゃない。
別に圏外の場所だったらとかそういうのではなく、掲載期間を終えた記事は削除されるなどしてリンク切れになってしまうのだ。
例えば、2015年9月ごろに起きたこの事件。
読売ジャイアンツ所属選手による野球賭博問題 - Wikipedia
ページ下部にある出典の部分からリンクが貼られているが、1年も経たないうちにリンク切れが多数ある。
無制限にデータを保持できないので、一定期間あるいは一定数以上の記事は削除されているのではないだろうか。
ときどき「ネットでは永久に情報が残り続ける」というような言葉を目にすることがある。あれは、ある部分では正しいのかもしれないが、それが全部でもない。
少なくとも2016年現在は、保存のストレージは無料ではないし、Webなどで配信するためのサーバー維持費も無料ではない。企業として、無限に何かを保持し続けることはできない。企業に「無制限に保存しろ」と義務化するのも無茶だ。
Internet Archiveというのがある。アメリカのある団体がwwwのスナップショットを撮り貯めており、任意のURLでそのページを探し出すことができる。しかしこれも、完全・万全じゃないし、さまざまな権利の課題もあるので、ここに頼るのが最善の解決策とも思えない。
電子データはそうだろう、だが紙の新聞なら国会図書館に保存されてるじゃないか と考えられる。確かに2016年現在はそうだ。しかし、紙の新聞の発行部数は減っていると聞くし、未来も紙で発行され続けるとは思えない。
これまでの時代、ある使命に駆られた人物によって歴史がまとめられてきた。しかし、ある視点からの記載であったり、網羅できる範囲は限られていた。個人でやるにも、国などの機関がやるにも、それぞれ課題や懸念がありそうだ。
振り返り可能な記録として維持できるように、どうやったら低コストで実現できるのか。そういう動きをやっておかないと、数年後に「あれ?誰かが残してると思ってたのに、誰も残してないの!?」なんてことも起こりうるかも??などと、妄想してみる。