「仕事ならそれでいいけど、普段からそれはちょっと・・・」問題
先日、体に違和感を感じて病院へ行った。
いろいろ診てもらったが大したことはなかったらしく、お医者さんに「症状も軽いので、今のところ特に治療の必要はありません。しばらく様子を見てまた何かあったら来てください。」と言われた。
僕はこの症状に対する知識がないので、どんなことを観察すれば良いのかわからない。そこで、「しばらくと言うのはどれくらいでしょうか?ひどくなったら、例えばどんな症状が現れたりするんでしょうか?」と尋ねた。
すると、「じゃあ薬を出しましょうか?」とイラっとしながら言われた。
あーあー、薬が欲しいんじゃないんです。どう言うところに注目して経過を見れば良いのか教えて欲しいだけなんですと自分の質問の意図を伝えると、ようやく説明をしてくれた。
別の日の話。
知人から、ある政治家に関するニュースについて「こう言うのは許せん!」とか「政治家ってこんなことする奴が多すぎる!」と、怒りの話をされた。
僕もそれに共感したくて話を聞いてみると、ニュースの内容を誤解していたり、そこには書かれていないことを勝手に想像していたり、内容ではなくある単語に対して怒っているようにみえた。
そこで、僕が知った情報を伝えてその人が誤解しているところを解いたり、XXが○○であることに怒ってるのか?などとその人がどう理解しているのかを聞こうとすると、「いや、いいよいいよ。」と話が終わって、次の話題に移っていった。
僕は相手の意図をできる限り汲み取りたいと思い、自分が理解できなかったことは聞き返してしまう。僕のこの態度に対して、周囲の人からはよく「いちいち内容を確認されるのは面倒臭いな。」「雰囲気を共有したいんだよ。」と言われる。
もちろん仕事だったら大事な態度だ、仕事で意図が違っていたら大変だ。最後に違うものができた日には、取り返しがつかない。だから雰囲気で分かった気にならず、意図や内容を確認をするのが正解だよ。
でもね と。
普段の会話からそれをやられると、それはちょっと面倒臭い。流して欲しいこともある。会話ってそんなに厳密じゃないでしょ?雰囲気が伝わればそれでいいと思うよ。
「仕事ならそれでいいけど、普段からはちょっと・・・」
誤った情報が世の中に広まることがある。それを信じ込んでピザ屋に銃を持って押しかける人は少数だとしても、気軽にデマが口にされることはある。
笑えるデマならまだ害はない。でも、それによって不利益を被ったりする人がいるとすると、それはとても困った事態だ。
ふと考えた。
さっきの話を踏まえると、世の中の情報は、仕事じゃなければ特に内容は確認されないし、それを介して「嫌だよねー」「変だよねー」と雰囲気を共有し合う方が優先度が高いことになる。雰囲気を話したいだけなのに、なんでいちいち内容を確認しないといけないの?ってことだ。
しかしその結果、情報は雰囲気が伝わりやすい方向にどんどんと形を変え、デマの程度(?)もどんどん増していくのではないだろうか。
「どんなにやったって100%伝わることはないんだから、理解し合うなんて無駄」という極端は話に向かいがち。それに、僕の普段の態度自体が極端かもしれない。
でも、もうちょっとだけ世の中が普段から雰囲気ではなく、内容や意図に目を向けてもいいんじゃないかと思ったりしている。
そのためには、< 意図を伝え合うための労力がかからない方法 >が発明されるしかないんじゃないかとも、思ったり。
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