政治家にとっての「議論」の単位は「時間」なんじゃないか問題
衆議院選挙が終わった後で、こんな記事が出ていた。
元の発言の全文がないため、本人が語られた文言そのままなのかは不明だが、憲法改正に関して『今後、憲法審査会できっちり議論しながら〜』と語られていたようだ。
議論 という言葉を聞いて、集団的自衛権に関してあーだこーだなっていた時期の発言を思い出した。
最初の方で次のような発言がある。
『外交、安全保障、そして法律の専門家の皆さんが約2年半検討を、そして議論を重ねてきた結果です。』
何人の専門家が関わったとか、何ページに及ぶ資料が出たとか、"これだけ議論してきましたよ自慢" にするポイントはありそうだが、"約2年半" という期間をアピールする言葉として選んでいる。
また、当時の民主党岡田氏のコラム。
このコラムの締めで、以下のように語っている。
『これまで安全保障の重要法案は150時間から200時間の議論をしてきた。憲法の解釈変更は法律より重い。私は衆院だけで最低、100時間の国会審議を要求したい。』
こっちはもっとストレートに、達成すべき時間の基準を提示している。
そうだった。この時も100時間を超えたからいいのか!みたいなことが言われていたように思うのだ。
そもそも普段から、”十分な時間をかけてじっくり議論” という言い回しはよく聞く。
肝心なところが個人的な主観になってしまうのだが、"意見を交わして議論をする" みたいな言い回しは、あまり聞き覚えがないように思う。"意見を聞いて" くらいまではギリギリ聞いたとしても、政治家の "聞く" がどんなものかは、相手の話を遮ったり噛み合わなかったりヤジったりする国会中継を元に察しているつもりだ。
きっちり議論の "きっちり" は、だいたい何時間くらいのイメージなんだろうか。
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