雑記Rogue

書くたび言うことが変わる不思議ダンジョン

つながってそうで、つながってなさそう問題

「ふむふむ」と思いつつ読んでいたブログの、先日公開されたこちらの記事。

www.ex-ma.com

 

読み終わって、あれ?なんの話だったっけ?と思って読み返してみた。

 

 

SNSによって殺されたという「マス」とは、何を指しているのか?

『20世紀のビジネスでは、人々を「マス(かたまり)」として捉えていた。』、『SNSが登場し、普及することでマスというものが機能しなくなっている。』とあるのをそのまま読むと、SNSによってかたまりが機能しなくなっている、SNSがかたまりという概念を殺したという主張になる。かたまりを "一人一人を区別しない顧客の集まり" と読み替えたとしても、あまり意味が通らない。

 

文脈で補うとするなら、タイトルは

 SNSが本当に殺したのは、「ビジネスとは人々をマスとして扱うもの」という概念

ということなのだろう。

「マスの概念を殺した!」というと、世界をひっくり返すなんともセンセーショナルで引きの強い文言になる。そのため、ちょっと言葉を省略しすぎたのかもしれない。

しかし、『SNSが登場し、普及することでマスというものが機能しなくなっている。』という部分は、以降も特に触れられていない。なぜSNSの普及が、マスで扱うビジネスを終わらせたのか?SNSと20世紀のビジネススタイルとの関係は不明だ。

 

 

続いて書かれたあるアパレル社長さんの事例。

Facebookを通じて、たくさんの商品が売れたのだそう。落書きのようなイラストだけでその商品が売れたことから、このアパレル社長さんと「ファンのような人との間」のつながりで商品が売れたと推測されている。

この後のキーワードになっている「つながりの経済」というものがどのようなものか、明確には定義されていない。この例だけからすると「ゆるいコミュニティみたいなもの」によって成り立つ経済のことを指しているように思える。

 

 

最後の締めでは、次のように書かれていた。

「つながりの経済」で成功するためには、お客さまをひとかたまりのマスで捉えるのではなく、一人一人個性のある人間として捉えること。
お客さまとの関係性が一番重要なのです。

SNSをやらないというのは、お客さまとの関係性はいらないと言っているのと同義語。
そんな時代が着々と近づいているのです。

今回の記事だけだと、マスとして捉えることと一人一人個性のある人間として捉えることの違いは、SNSを使うかどうかの差のように書かれている。

多少うがった見方をすると、一人一人個性のある人間として捉えることとは、ホワイトボードにサラサラ落書きのように描いた絵で商品を売り、お茶パックだと思った人も出てくるような対応をすることと読めなくもない。SNSを使うこと=客との関係性が築かれる と主張しているようにも感じてしまう。

実際は、アパレル社長さんも日々いろいろなことをファンに対してFacebookなどを通じて発信し続けた結果だろうと思う。そのあたりこそが「つながり経済」の肝なのではないかと思うが、どうなのだろうか。

 

指摘しようとしている個々の視点はわかるものの、この内容だけだと、タイトル及び記事の内容に "繋がらなさ" を感じてしまう。タイトルや本文の主張自体を補う説明が、全体的に不足しているように思う。

そして、この記事の内容でタイトルをつけるのなら、「殺した」とは反対の

 SNSが生み出す「つながり経済」

などの、新しい経済ができているから乗り遅れる という文言なのではないだろうか?

 

 

記事の途中では、このアパレル社長さんの言動がいろんな方から批判されることがあるということと、「SNSをバカにして」いる業界(アパレル業界?)の人もいることが書かれている。

このあたりのことが腹に据えかねて ”ついカッとなってやった” 記事のような感じがした。